スーパー耐久シリーズ ST-4クラスにTEAM NOPROから参戦する大谷飛雄選手。幼少期からカートで腕を磨き、スーパーカートでチャンピオンも獲得。トヨタ育成ドライバーとして18歳でフォーミュラーカテゴリー"Formula Challenge Japan"(通称 FCJ)で四輪デビュー。その後ツーリングカーカテゴリーに転向。レース歴は30年を超え、現在はレースと並行してドライビングコーチとしても活動の幅を広げている。ジェントルマンドライバーへの指導、若手へのアドバイス、そしてTEAM NOPROでの戦い。多面的な立場でモータースポーツと向き合う大谷選手に、これまでの歩みと、若手への思い、そしてレース観を聞いた。
現在の活動について教えてください。
大谷飛雄選手(以下、大谷選手):レーシングドライバーとして活動する傍ら、ドライビングコーチが現在のメインのお仕事になります。セミプロの方から走行会への参加を始めたばかりの方まで、幅広く指導させていただいています。コーチングとして一番多いのは、走行会で本格的にサーキット走行を楽しみたい方ですね。レースに出るわけではないけど、マイカーでの運転を楽しみたい・日常の運転でもうまくなりたいという方に対しては、どうしたら事故を起こさないで安全な運転ができるかとかといった運転の基礎に関してレッスンをさせていただくこともあります。本格派の方には専属のコーチングドライバーとして契約いただき、長期にわたり、サーキットでのドライビングの指導なども担当させていただいています。最近は年に1、2回自身で走行会を主催するようになったのですが、これからコーチングでも活動の幅を広げていこうかなと思っています。

−4歳でレースを始め、スーパーカートで大きな転機を迎えた
大谷選手がレースを始めたのは4歳。きっかけは、父親がアマチュアでレースをしていたことだった。
大谷選手:父が趣味でレースをやっていたんですけど、ある時、車のイベントの抽選で子ども用のレーシングスーツが当たったんです。それで父が「ちょっとやらせてみるか」となったのが最初ですね。そこから後戻りできなくなったという感じです(笑)。当時は、自分から“これをやりたい”っていうより、やらされてた感の方が強かったかもしれません(笑)。
学生時代にはテニスや卓球にも打ち込んだが、本格的にレース一本へと気持ちが傾いたのは、スーパーカートでチャンピオンを獲得した頃だった。
大谷選手:やっぱりスーパーカートでチャンピオンを取ったっていうのが大きいですね。あれはセンセーショナルだったし、自分の中でもターニングポイントになった気がします。
当時は、父親からも“プロにさせたい”という思いを強く感じたという。トヨタやホンダなどメーカーの育成プログラムへ進むためには、大きなサーキットでの経験と実績が必要だと考え、スーパーカートへと進んだと当時を振り返った。
大谷選手:自分は“プロを目指せたらいいな”ぐらいの軽い気持ちだったんですけど、父からはどちらかというと“プロになって欲しい”という気持ちを強く感じたんですよね。当時のFTRS(フォーミュラトヨタレーシングスクール)やSRS(鈴鹿レーシングスクール)などのメーカー系のオーディションに参加するには実績が必要だし、大きいサーキットにジュニア時代から慣れておいた方が良いという思いがあったと思います。
そして高校2年生の頃、FTRSの最終選考に進んだあたりから、プロへの意識が大きく変わっていった。
大谷選手:FTRSで最終選考に合格し、メーカーの育成としてデビューすることが決まった頃から、ちょっと志が変わっていったかなと思います。自分はプロになるのだと。懐かしいですね。
−若い頃の経験が、今の“教える力”につながっている
今の大谷選手を形づくっている経験のひとつが、10代後半に取り組んだ4WD車での走行経験だ。単にサーキットを速く走るだけでなく、滑るクルマをどう扱うか、四輪駆動車(4WD)と二輪駆動車(2WD)の違いをどう感じ取るか。そうした引き出しが、現在の仕事のベースになっている。
大谷選手:17、18歳ぐらいの頃にインプレッサに乗っていて、ダートラとかジムカーナとか、ドリフトもやっていました。そういう経験が、今の仕事でも全部必要な技術になっています。当時、ウェットコンディションには本当に自信がありましたし、実際そこそこ速さを見せることができたのですが、当時はまだメンタルが強くなかった。フォーミュラのレースでも、スタートで順位を落とすことが結構多くて、スタートさえうまくいっていれば表彰台だったというレースも結構ありました。当時もメンタルトレーニング自体はやっていたのですが、今振り返ると当時のトレーニングのやり方や取り組みの姿勢は工夫できたかもしれません。レースの世界も含め、もう少し世間を知ることを若いうちから始めた方が、メンタルとしては落ち着いた人間になれたんじゃないかなって思います。

−TEAM NOPROは“個人のリレー”ではなく“チームスポーツ”
スーパー耐久でのTEAM NOPROについて話が及ぶと、大谷選手はチームの一体感を何度も口にした。
大谷選手:NOPROは、チームスポーツというテーマを非常に大切にしているチームだと思います。個人のリレーではなく、チーム全体で引き上げようという意識がすごく強いですね。どちらの選手が上手い・下手とかではなく、今こういう状況だから、もうちょっとこう走るといいよとか、このセッティングのときはこうかなとか、そういうフィードバックはドライバー同士で、ものすごく大事にしています。例えば小西選手や今年一緒に走る予定の尾崎選手などは若手なので無線で「今が頑張りどきだよ」と声を掛けたり技術的な面以外にもメンタル的なところも含めてアドバイスすることはあります。技術的な面では例えば「タイヤを交換せず次のスティントも持たせたいからこういう風に走ってね」など具体的な指示を無線で伝えたりします。
その背景には、NOPROというチームが持つ独特の空気感がある。
大谷選手:いわゆる“ザ・プロのレーシングチーム”というよりもスーパー耐久シリーズの趣旨に沿った延長線上にあるチームだと思うんです。メインの仕事と掛け持ちでチーム・ドライバーを支えてくださっている方もいますし、善意で車を拭いたり手伝ったりしてくれている方もいる。そういう人たちが楽しみながら集まっているからこそ、みんなが“あの時よかったよね”って10年後に言ってもらえるような雰囲気づくりを長く在籍するドライバーとしてもすごく大事にしています。それが高次元でできているのがNOPROだし、2024年にシリーズチャンピオンを獲得できたのはそういったことが要因なのかなと思っています。

−ST-4で重視するのは、“自分だけ速い”ではなく“チーム全体を速くする”こと
スーパー耐久のような耐久レースでは、プロドライバーが自分だけ速ければそれでいいわけではない。ジェントルマンドライバーや若手ドライバーとどうチームを作るかが重要になる。
大谷選手:プロになるってことは、速いのは当たり前なんです。速く走り続けるのも当たり前。それよりも自分が乗るクルマの100%を110%にするにはどうすればいいかを考える方が大切です。例えばジェントルマンドライバーと組むなら、ドライビングスキルの向上の側面はもちろんあるのですが、相方がオーバーステアが強い傾向のマシンが好みなら、例え自分の好みから外れても、こちらが走らせ方をアジャストして、相方にとって乗りやすい環境を作るというのも大切にしています。これはステップアップしてどのような耐久レースに出場しても共通していて、多分プロレベルで同じことがあるはずなんですよね。若手の選手が苦労しているなら、ベテランの選手が「お前に合わせるから要望を教えてくれ」って言ったりする。そういったことは耐久レースにおいては非常に大切だと思います。
−これからの目標は“キャリア20年”と、その先につながる基盤づくり
今後のキャリアにおける目標について尋ねると、大谷選手は「キャリア20年」というひとつの節目を挙げた。
大谷選手:近々の目標で言うと、総キャリア20年ですね。18歳で4輪デビューして、いわゆるプロと言われる立ち位置になってから20年。今35歳なので少なくともあと3年は粘っていきたいです。その3年の中で見えてきたものを具現化していきたいなと思っています。今年はS耐でドライブするロードスターを速くするのももちろんそうなんですけど、2027年以降にチームやレース業界においてどういう貢献ができるかをものすごく考えています。今年は、3年の道筋ができるような行動やアピールをしてきたいと思っています。
TEAM NOPROへの思いも強い。
大谷選手:プライベートチームにも関わらず継続して自分を起用してくださっているので、その恩義は全力で返したいと思っています。野上社長が実現したいことが僕にとっても挑戦したいことでもあるので、起用していただく以上はご恩を返していきたいなと思っています。
−ジェントルマン育成にも意欲「細く長く、続けていくことが大事」
今後については、若手だけでなくジェントルマンドライバーの育成にも強い意欲を見せる。
大谷選手:若いドライバーのコーチも、もっとやってみたいなと思っています。まだ実績が少ないことや中には、“大谷飛雄”のイメージが昔の駆け出しの頃のままの方もいらっしゃって、今の自分を見てもらえていない部分もある。そこはもう少し自分自身アピールが必要かなと思っています。
一方で既に50代のジェントルマンドライバーのレースデビューをサポートしている真っ只中だという。
大谷選手:今、ジェントルマンの53歳のドライバーさんのコーチングを担当させていただいて、かなりご本人も私も手応えを感じています。まだレースに出場するための時間を作りきれていないのですが、今年〜来年までにはレースへの参戦を開始し、2028年頃にはスーパー耐久へのデビューも視野にと計画を立てているところです。ジェントルマンドライバーや若手ドライバーのレース参戦を技術的な面もメンタル的な面もサポートしていく。それはすごくやりがいに感じているし、これからの私自身の目標でもあります。

−若手に伝えたいのは「逆算」と「クルマを知ること」
今、若手ドライバーを見る中で感じることも率直に語ってくれた。勢いだけで進むのではなく、どこを目指し、そのために何が必要かを逆算して組み立てる。その視点が重要だという。
大谷選手:才能はあるのに、レースにおいても日常においても、頑張りどころを間違えてしまっているのではないかな、と感じるドライバーを見かけることもあります。すごく頑張っているのだけど、注力するのはそこではなくて、もう少しこちらにフォーカスすべきではないのかなと。自分は何事も目標達成に対して“逆算して考える”ことを重視していて、自身の経験なども踏まえコーチングでもその重要性をお伝えしています。
さらに、技術論以上に大切だと語ったのが、“クルマを知ること”だ。
大谷選手:若いドライバーにはもっともっとクルマを知ることを大切にして欲しいと思っています。例えばサスペンションのバネの巻き数が違うとどう違うのかとか、シャシー形状が違うとなぜそんなにマシンの挙動やドライビングが変わるのかと。そういったマシンのフィーリングや構造的なことをもっとメカニックとかエンジニアの方にも積極的に聞く、コミュニケーションを取ることが大切だと思います。軽自動車でも良いのでHパターンのマニュアル車を買って、自分でクルマの動きを知るとか、そういうマインドもとても大事かなと思います。サーキットも富士や鈴鹿で走れるのがベストですが、日光でも本庄でもつくばでもとにかく走ることが大切です。そして何より、まずクルマを知ることが大事です。自分は、コロナ禍の時に時間があったので、ショップでアルバイトをして、解体になったクルマや使わなくなったエンジンを見ながら、ピストンピンがここで違うんだとか、ブッシュを動かすとこういうふうに動くんだとか、ショックアブソーバーをばらしてみたりとか、そういうことを全部やっていました。例えば“ブーストが思ったより掛かってない”って違和感を感じて、ターボホースを調べてっていったら、実際ホースがひとつ抜けていて、予選に間に合ったこともあるんです。構造が分かっていると、レースでも問題解決が素早いので今でもコロナ禍の取り組みは大いに役立っています。
−「レースは、何年経っても特別な瞬間」
インタビューの最後に「大谷飛雄選手にとってレースとは?」と尋ねると、少し間を置いてこんな答えが返ってきた。
大谷選手:レースって、何年経っても特別な瞬間なんですよね。自分とクルマが一体になる瞬間というか。それがどうにもならなくなったら、引退なのかなと思います。
それはレースのスタートの一瞬だけを指す言葉ではない。
大谷選手:スタートの瞬間だけじゃなくて、組み立てから何から、ウィークエンドまでのストーリー全部が、自分にとっては特別です。ローカルレースでも、模擬レースでも、スーパー耐久でも、フォーミュラでも、全部同じ。レースウィークが来ると本当に特別な感じがします。若い頃は気づかなかったんですけど、レースをやりたくてもできなかった人もたくさんいるし、レースって誰しもが体験することができない特別な瞬間なんですよね。だからこそ、自分にとってはレースは、ずっとスペシャルな存在なんです。
TEAM NOPROの一員としてスーパー耐久ST-4クラスを戦いながら、コーチとしても、伝える側としても歩みを進める大谷飛雄選手。その言葉の端々から伝わってきたのは、“速さ”だけではない、何事も貪欲に最後まで“続ける強さ”だった。

大谷飛雄 選手 RACING-DRIVER.JPオフィシャルページ
https://www.racing-driver.jp/tobio-otani/
写真提供:大谷飛雄 選手

